最期を迎えるとき

人生を飛行機のフライトに例えることがあります。
飛行機は離陸と着陸が一番難しいし、事故も多い。
人生も同様です。生まれるとき、生まれたばかりのときは体は弱く死亡率も高い。
しかしそれは医療の進歩により劇的に改善し、今や母子ともに健康に生まれることが普通という感覚になっています。
そして飛んでしまえば、生まれてしまえば、その途中で何かあったとしても、だいたいは安定して飛行していきます。
最後に大事になるのは着陸です。うまく着陸すれば、そのフライトは成功といえるでしょう。しかし着陸も難しい。失敗はもちろん論外ですが、できるだけソフトランディングでありたいものです。
 
余談ですが、飛行機の着陸の技術はすごく進歩していると思うんですよね。自分が小学生で飛行機に乗ったときは着陸の衝撃って結構なものだった記憶があるんですが、大学生の頃は格段に衝撃が減ってましたから。最初はたまたまその時のパイロットが上手だったんだと思っていましたが何回のってもそうなので、これは飛行機自体の性能がよくなったんだろうなと考えを改めました。まあ、当たり前のことなんでしょうけれど。
 
話を戻します。
では人生における着地とはなんでしょうか。それは端的にいえば「死」であり、どのように最期を迎えるかということでしょう。
穏やかに眠るように最期を迎えられれば、着陸成功。人生の最期としてこれ以上のものはないだろうと思います。多くの人がそう思っているのではないでしょうか。
 
では実際にはどうでしょうか。
飛行機の着陸技術が進歩しているように、医療も進歩しています。穏やかな最期を迎えるときに必要な「苦痛の緩和」という技術も間違いなく進歩しており、まだまだ不十分とはいえ以前よりも最期の場面で苦痛を減らすことはできているような気がします。
特に癌で亡くなる人が増えている中、緩和治療の進歩は多くの癌患者さんに恩恵を与えているでしょう。
そういう点では穏やかな最期を迎える人が増えていると考えて良いのかもしれません。
 
しかし一方でまだまだ足りない部分もあります。
過剰な医療の問題です。
(続く)