言葉と身体感覚が一致した時の感動の?話

家庭医として患者さんと関わっていく中で、病気とは何か・健康とは何か・死とは何か…など様々なことを見つめ直す日々です。
 
今回は個人的な経験の話。言葉と身体感覚が一致したときの感動?の話です。
体の不調を表現する言葉って色々あります。痛い、痒い、だるい、吐き気がする、めまいがする、ぼーっとする、喉がイガイガする、つかれやすい…。
まだまだあります。
自分が自分でないような感覚、身の置き所の無い感じ…
その中に、「足がつる」という表現があります。医学的にはmuscle cramp筋痙攣と言われますが、これって何気なくつかっていますが足がつったことの無い人にとって「足がつる」という言葉は理解できないはずですよね。
かゆい・吐き気がする、めまいがする、なども全てそうだと思いますが、これらの言葉と身体感覚として症状を人はどのように一致させるのでしょうか。例えばめまいを感じている人の訴えを聞いて、「このことを”めまいがする”っていうのかな?」などと学習していくのでしょうか。しかしそれでも他人の話を聞くだけなので実際にそれを経験してみないとわからないし、その経験をしたときに隣にいる人が「それをめまいっていうんだよ!」と教えてくれるとは限らない。無意識下に言葉だけが存在して、あるときそれに合致する経験が訪れる…そんな感じでしょうか。
 
私は言葉と身体感覚が一致した、まさにその瞬間のことを覚えていて(いるような気がしていて)、「あ、これか!」と妙に腑に落ちたことを思い出します。
それは小学校2−3年生のとき、帰宅途中の下り坂を歩いているときでした。ふざけて何か無理な姿勢で歩いていたのでしょう、急に左足の親指がつっぱって動かしにくくなり痛みが走ったのです。しばらく無理矢理歩いていたら自然に治ったのですが、このときなぜか「足がつる」という言葉が頭に浮かび、これが「足がつる」ということなんだなと理解したのです。まさに言葉と身体感覚が一致した感動の瞬間でした。
でも、思い返すとそれ以前にも足がつったことはあったし、足がつるという言葉も聞いていたようにも思うのです。しかし自分の感覚としてはそのときに初めて一致した、と思ったのでした。
無意識下に漂っていた「足がつる」という言葉が、それに合致する身体感覚を手に入れた瞬間でした。