癌末期の患者さんの最期を穏やかに見守るために大切なこと③

家庭医として患者さんと関わっていく中で、病気とは何か・健康とは何か・死とは何か…など様々なことを見つめ直す日々です。
 
今回は、癌末期の看取りにおいて急変時の対応を確認することは、つまるところ心肺蘇生をしないことを確認することと同じであると言いました。実際、本人・家族が心肺蘇生を望むということはほとんどなく本当に確認だけなんです。
しかし稀に今回のようにできるだけ長く、と訴える人がいます。ではこのようなときに家族の意向であるからといってそのままそれを受け入れるのか(本人の意思がわからない場合)。癌で旅立とうという人に心臓マッサージをするのか。
これは家族の意思がそうだからといって、それをそのまま受け入れてはいけないでしょう。
医師は、心肺蘇生をしないという覚悟を家族にしてもらう必要があると思います。
 
今、医療の現場では治療方針の決定に際して本人や家族の意向を尊重するのが普通だと思います。これはある意味当然のことでしょう。これまでのパターナリスティックな医療では医師にお任せということが多かったのかもしれませんが自分のことを自分で決められるというのは当然だと思います。それも十分な情報が与えられていて、理解できているということが前提です。
しかしだからとって患者さんや家族の言ったことを何でもそのとおりにやることがいいわけではない。
今回の例のように最初「できるだけ長く」と言っていたから、心肺蘇生を望まれたからといって、臨終の際に心臓マッサージをしてしまったとしたら誰も良い思いをすることはないでしょう。
 
「できるだけ穏やかに過ごしてほしい」と願っていながら、「できるだけ長く生きていてほしい」と思っている人は、癌の終末期においてはそれらが互いに矛盾することであることに気づいていないのかもしれません。あるいはわかっていても心情的に割り切れないのかもしれない。
 
そのような場合、「できるだけ穏やかに過ごすこと」はもはや時間の長短と無関係であること、心肺蘇生が本人に苦痛を与えてしまうことなどを説明して本当にそれが患者さんにとって良いことなのか、考えてもらう必要があります。
 
医療者と患者さん・家族とでは当然情報量も経験も違うわけですから、専門家として自分の見解やこうすべきということを伝えるのは重要なことだと思っています。