癌末期の患者さんの最期を穏やかに見守るために大切なこと①

家庭医として患者さんと関わっていく中で、病気とは何か・健康とは何か・死とは何か…など様々なことを見つめ直す日々です。
 
癌末期で亡くなりつつある患者さんを見守る家族の話です。
診療所を受診する患者さんは高齢者が圧倒的に多いですが、たまに若い方もいらっしゃいます。
その方は49歳女性で、胃癌の多発肝転移でした。見つかった時はすでに肝臓に転移しており、その数ヶ月後には検査データは悪化、倦怠感が強くなり黄疸(白目のところや皮膚が黄色くなる)もでていました。
いよいよ最期のときが近くなり自宅療養も難しくなってきたため入院をすることになりました。たった数ヶ月の経過でした。
ご家族は遠方に住むお兄さんしかおらず、これまで電話でのやり取りはしていましたが直接会って話はしていませんでした。このときになって初めて面談をすることができました。
お兄さんは患者さんにも会っていなかったため、この数ヶ月での急激な変化に戸惑い、受け入れられない様子でした。当然でしょう。数ヶ月前にいきなり電話で癌の末期でもう長くないなどと言われていたのです。まだ49歳です。
しかし実際に会って本人の状態をみて、また面談でいろいろな検査結果を聞くことで、これが逃れられない事実であるということを理解されたようです。
今はすでに癌の治療をするという段階ではなく、いかに苦痛無く穏やかに最期の時間を過ごしていただくかが最も重要な問題です。入院先としては苦痛をとることを目的とした緩和ケア病棟を考えていました。
 
さてこのような患者さんが最期の時間を過ごすにあたって、確認をしなければならない大切なことがあります。
その一つが、急変時の対応です。急変時というのは、急に呼吸が止まったり、心臓が止まったりするような緊急事態のことです。このような自体になれば通常は心臓マッサージや人工呼吸等のいわゆる心肺蘇生を行います。
では今回、この対応を確認するとはどういうことでしょうか。心肺蘇生をするかどうかに確認など必要があるのでしょうか。
実は確認とは、癌の末期でもう先が長くないような人についていえば、医療者の立場からすると「何かあっても心肺蘇生をする必要はないですよね」という確認なんです。
こんなことを言うと、「患者を見捨てるのか」と思われる方がいらっしゃるかもしれません。しかし、そうではありません。癌の末期で残された時間がわずかになっている患者さんが、できるだけ苦痛の無いように穏やかに過ごしてもらいたいという気持ちに異論のある人はまずいないと思いますが、心肺蘇生をしないという行為はその延長線上にあります。
最期の時がいつやってくるのかは誰にもわかりません。徐々に衰弱して眠るように息を引き取る場合もあれば、昨日まで比較的元気に過ごされていた方の容態が急激に悪化して亡くなることもある。いずれにせよ、この時期はぎりぎりの状態で体を維持していますから心肺停止になった場合は蘇生行為をしても心拍が再開する見込みはほとんどないといっていいでしょう。
しかも、万に一つそのとき心臓が動き、呼吸をするようになったとしてもその時点で直面するのは余命わずかという現実であり、残されたのは生きる力をさらに奪われた肉体なのです。これはある意味とても残酷なことではないでしょうか。
患者さんが残された時間を最期まで穏やかに過ごすためには、心肺蘇生をしないということが前提とさえ言えるのです。
 
これは第三者からの立場で言えば当然のことかもしれません。
しかし家族にとっては、あるいは家族によっては必ずしもそうではないでしょう。
 (続く)