誤嚥性肺炎に立ち向かわない

前回、誤嚥を予防するための食事の仕方について紹介しました。
 
他にも色々と方法はありますが、それでもそれらは嚥下機能の低下を止めるものではないですから誤嚥を完全に防げるわけではありません。最終的にはこれまでのように食事をすることはできなくなるでしょう。
 
けれど一度誤嚥が起きたらもう最期だ、といっているわけではありません。
誤嚥性肺炎を一度おこしたくらいでは通常命に関わることはありませんし、短期間で治癒します。
むせたりしながらも皆さん何とか食べながら暮らしていくのです。
誤嚥性肺炎になったのなら、それをきっかけに食事の仕方や介助の仕方を見直せばいいわけです。
しかし、それでも誤嚥をゼロにすることはできません。そして徐々に弱っていくことも不可避です。
 
であれば、どこかの時点でそれを受け入れなければならないでしょう。
最期を迎えようとする高齢者は今までと同じようには食べられないし、食べる必要がないということなんです。
それでよいのです。嚥下機能が低下しているのにこれまでのように食べさせようとして誤嚥性肺炎となる方がよっぽど苦しいかもしれません。少量でもよいから無理のない範囲で食事をして、それで徐々に衰弱したとしてもそれは自然の経過ではないでしょうか。その時点では食事量が少ないからお腹がすいて苦しいなどということはないでしょう。
 
この時点で何らかの医療的介入が始まると体に大きな負担がかかります。なにしろ体は飛行機でいう着陸の準備に入っているわけですから、それに無理矢理燃料をいれたりエンジンの出力をあげようとすればどこかに無理が生じます。人体で言えば、むくみがでたり息苦しくなったりすることがあります。
患者さんの家族にとっては何も介入せずにいるというのは非常にストレスなことだと思います。けれど穏やかな最期を迎えるには考え方を変える必要があるかもしれません。
 
嚥下機能低下により食べられなくなる過程は、すなわち最期を迎えようとする過程に他ならないのです。別に病気ではありません。
つまり誤嚥性肺炎で亡くなる方というのはある意味天寿を全うされての最期ではないかと思うのです。嚥下機能低下で食べられなくなるくらい全身の力を使い切ったのです。老衰といってもいいくらいです。
 
こういったときに医療ができることは、痛みや苦しみがないように力を尽くし最期の場面を穏やかに迎えられるようにすることだけだろうと思っています。
 
診療所には高齢の患者さんが多いですから、最期の場面に立ち会うことも増えてきています。今や死因別の死亡数第3位になった肺炎ですが、この中で多数を占めると思われる誤嚥性肺炎で亡くなる人ができるだけ苦しむことがないように、安全に着陸ができるように、患者さんや家族とよい関係を築き協力していけたらと思います。