医者はわかってくれない、と思われている?③

家庭医として患者さんと関わっていく中で、病気とは何か・健康とは何か・死とは何か…など様々なことを見つめ直す日々です。
 
(続き)
患者さんが希望した場合、医学的には適応がないと思われたときでも点滴をするか、について考えていました。
 
今考えているのは、患者さん側の思いです。
患者さんが点滴をしてほしい理由。そのひとつは点滴に大きな期待があるからだろうと思います。
一度点滴をしたことがあって、それがとてもよかった。
あるいは点滴はどんなものか知らないが、何となくよさそうなのでしてほしい。
 
点滴のことをよく知らずに、なんとなくのイメージだけで点滴を希望される方にはきちんとメリットデメリットを説明してわかってもらえばいいでしょう。たいていデメリットの方が大きいのです。
 
しかし何らかの形で点滴を経験し、それが良い経験だった場合はそうはいきません。
誰でもそうですが、一度いい体験をすると次もそれを期待してしまいます。
これは点滴だけに限らないことかもしれません。
特定の風邪薬に執着して、風邪をひいたときはいつも同じ薬を求める人がいます。
成功体験が強化されていくのでしょう。
逆の場合もあります。一度副作用など良くない体験をすれば、もうその薬は使いたくなくなります。薬だけでなく、病院でいやなことがあれば病院嫌いになって滅多なことでしか行かなくなるのも同様だと思われます。
 
実際のところ点滴の効果とはどうなのでしょうか。(経口摂取が可能な場合です)
理屈では経口摂取ができるのならそうした方が自然に近い形であり、そちらの方がよさそうに感じます。
しかし点滴をしてすごくよくなったという患者さんがいることも事実で、しかもコップ1杯程度の量でもそうなのです。
これは患者さんからしたらかなり大きなメリットですが、医療者側はこのメリットを過小評価しがちなのかもしれません。
点滴を含めた薬にはプラセボ効果というものがあって、何も効果がないはずの薬であっても本人が効果があると思い込んでいると本当に効果がでることをいいます。例えば痛み止めとして飲んだ薬が実はただの白い粉であっても医師に「よく効く薬です」といわれて飲んだら痛みがなくなった、というようなものです。
このような場合もあるものですから、点滴が効いたんですと患者さんが言っても医師は「まあプラセボ効果でしょう」と考えてあまり気にしないかもしれません。
しかしよくなったかどうか、というのは多分にその人の主観の問題ですから、その人が効いたと思えばそれが本当に(何が本当かわかりませんが)効いたのか、プラセボ効果だったのかはそれほど大きな意味はないでしょう。効いたと感じたことが重要です。
だとすると、点滴のメリットも人によってだいぶ違いそうです。
 
デメリットの話も理解した上で、それでも患者さんにとっての点滴のメリットがデメリットを上回るならば、点滴の適応にはなるでしょう。
しかし患者さんのとってのメリットを医師が理解することが困難ですし、患者さんがデメリットを理解するのも難しい。
点滴をするしないは結局は医師の判断ですから、多くの患者さんの希望は通らないということになりそうです。
 
…この話を書き始めた時は対立点となりやすい点滴の問題について、「患者さんが望むだけで点滴はしない」のが医師側の一般的な考えだったのを、「患者さんが望むなら点滴をする」という方向にある程度はシフトできないかなあと考えていたのですが、今のところそうはならなそうです。
ただ、せめて患者さんの言う「効く」についてもう少し耳を傾ける態度をとってもいいのではないかと思っているところです。