感謝できるということが幸せ

家庭医として患者さんと関わっていく中で、病気とは何か・健康とは何か・死とは何か…など様々なことを見つめ直す日々です。
 
在宅診療で癌末期の方(70代前半)をみていましたが、その方がついに自宅で過ごすことが困難になって入院しました。すでに治療ができないくらいに進行した状態であると大学病院から紹介され、訪問診療を開始してから1年が過ぎていました。ご本人は癌という病名は知っていましたが、ご家族の配慮から病気の進行具合や予想される予後(どのくらい生きられそうか)については伝えていませんでした。
 
先日、所用のためその方が入院した病院に行った際に病室を訪ねたところ、大変喜んでいただいて色々と話を伺いました。
その方の口から出たのは感謝の言葉ばかりでした。自分はこれといって何のとりえもないけれど、良い友達がいます。心配してくれる子供もいます。本当に自分は色々な縁に恵まれました。こんな良い病院に入れてもらってとても幸せです。本当にありがとうございます。
 
ご自身の体は腸閉塞をおこしておりお腹が張って、食べたいのに食べられない状態です。食べたら吐いてしまうからです。話だけなら普通に話すことはできますが、癌と食事が食べられないことにより衰弱は進み自分のしたいことは何もできません。ほとんどベッド上の生活です。
にも関わらず、話を聞くと現状のつらさを口にするどころか出てきた言葉は感謝の気持ちと幸せです、だけなのです。
もちろんつらくないはずはないと思いますし、私にだから言わなかったのかもしれません。
しかし本当に幸せですといった言葉に嘘偽りはないと思います。
 
私はそれを聞いて、この方は本当に幸せだろうと思いました。
それは素晴らしい友人や家族がいてご縁に恵まれているから、ではありません。
そう思って、感謝できるからです。
 
まだ人生これからだというのに癌で長くないかもしれないなんて、と自分の運命を嘆いたり呪ったりすることだってできます。どうして自分がこんな目に合わなくてはならないのか、と考える人もいるでしょう。あるいはこの方も最初はそう考えたのかもしれません。
 
しかし今この方は幸せだとおっしゃいます。癌の末期で死を間近に感じている方が今、幸せだと言えるのです。
それは感謝しているからだと私は思います。今の自分があることに感謝できれば、人は皆幸せになれるのではないかと思います。
 
ちょっとスピリチュアルな感じがしてしまいますが…これは主観的な健康観という話(参照:20141201健康について考える)にも通じるところだと考えています。