癌末期の患者さんの最期を穏やかに見守るために大切なこと②

家庭医として患者さんと関わっていく中で、病気とは何か・健康とは何か・死とは何か…など様々なことを見つめ直す日々です。
 
前回は、癌末期で穏やかな最期を過ごそうとしている人に心停止・呼吸停止の瞬間が訪れた時、心臓マッサージや人工呼吸などのいわゆる心肺蘇生はふさわしくないですよね、という話でした。
 
このことは理屈から言ったら至極全うだと思っています。
そしてご本人にその意志をを聞くと、まず心肺蘇生を望む人はいません。それはそうだろうと思います。より長く生きることに価値をおいていないのですから。
 
しかし時に家族がそうは思えない場合があります。一分でも一秒でも長く生きていてほしいという気持ちが強くて、亡くなる姿を黙って見ていることなんてできないと考えてしまう。
 
前回紹介した末期癌におかされた49歳女性のお兄さんもそうでした。
お兄さんに急変時の対応について確認をすると「家族としては一分でも長く生きてほしいと思う。そんなに割り切ることはできないですよ。」と言われました。
確かにそうかも知れません。3ヶ月前に余命半年くらいかもしれないと言われ、今、死を看取る瞬間に直面させられている。少しでも長く生きていてほしい、死なないでほしいという思い。もっと何とかできなかったのかという思い。色々な思いがあって、黙って見ていることができないと考えてしまう。
しかし一方で残り少ない時間を苦痛無く穏やかに過ごしてほしいと願っている。本人の望むようにしてやりたいとも思っている。
残される家族の思いというのはこのようにアンビバレントになって当然のことだと思います。
でも本当の願いは穏やかに最期を過ごすことだと思っています。
我々としては、妹さんの最期の場面に心臓マッサージなどの蘇生行為はふさわしくない、それでは穏やかに最期を過ごすことはできないとお話しました。
「頭ではわかります。理解はできるけれども、心情的には受け入れられません。」このように言ったお兄さんですが、頭で理解できることに同意されました。
 
そして、この方は大好きなお兄さんに見守られながら穏やかな最期を迎えられました。
 
(続く)